こんにちは。武蔵小山のダイエットトレーナー兼調理師のもんぜつ代表です。
みなさんが通われているトレーニングジムやパーソナルジム、ヨガ、ピラティスにはサボらず行けてますか!?
一度サボると抜け出せませんよ!せっかくのダイエットやボディメイクの目的が果たされません!!
今日ももんぜつ頑張りましょう!でも無理はしないでね〜☆
もんぜつダイエットぶろぐ
歴史編!!
本日紹介するのは、
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の健康生活についてご紹介します。
・戦国武将が亡くなった年齢は、
織田信長49歳、上杉謙信49歳、池田輝政50歳、加藤清正50歳、武田信玄53歳と50歳前後が多いよう☆
60歳前後で亡くなった黒田官兵衛59歳、前田利家62歳、豊臣秀吉も62歳まで生きました。
当時ではかなり長生きであった豊臣秀吉!
どの様な健康法を取り入れていたのでしょうか?
◉豊臣秀吉と言えば、お茶会。茶の成分が健康の秘訣?!
豊臣秀吉は、一生のあいだに数多くのお茶会を催しました。
そんなお茶の成分には、
カフェインやタンニン、アミノ酸、ビタミンCなどが多く含まれています。
ビタミンCは熱に弱いのですが、
お茶のビタミンCは比較的熱に強く、ストレス緩和作用があります。
また、疲労回復や利尿作用、強心作用、食欲増進などの健康作用があります。
◉運動不足を趣味の能で解消
また、趣味を楽しむことが得意な秀吉は、
茶の湯ばかりでなく、「能」に関心を持っていました。
お城の中では、猿楽を演じたと言う記録もあります。
老年期にさしかかった秀吉は、
趣味の能を演じることで、適度な運動をしていたのではないでしょうか。
◉秀吉の華やかな生活の行き着く先が、質素な食生活であった。
貧しい農民の子供から、天下人にまで成り上がった豊臣秀吉は、
貧しい身分の出身ということもあったためなのか、
晩年期も質素な食事を好んでいたと言われています。
成り上がって行った頃には、海の幸や山の幸といった豪華絢爛な食事をとったり、
滋養強壮のために虎の肉や様々な生薬を煮出して作った薬膳スープを食していたとも言われる秀吉。
贅沢に明け暮れていた日々もあったと言われています。
そんな中、50代半ばを過ぎた秀吉は、(秀吉は62歳までいきた!)
自分の部下に、全国各地の高級食材や珍味よりも、
貧しい時代に食べていた麦飯が一番おいかったと語っていたそうです。
秀吉が、食事において最後に行き着いた先はシンプルな割粥(わりがゆ)だったそうです。
秀吉が晩年に愛した割粥は、
長生きの効果を期待できるものとされていました。
割粥は、米の一粒一粒を3分の1程度にすり鉢などで砕いてから作るお粥で、
通常のお粥よりも消化がよく、
胃腸などの臓器、血管に負担がかからない特徴があります。
また、お米を煮込む時に、溶け出てくるでんぷんが熱を封じ込めるため、
体温を保温する効果もあったと考えられます。
割粥に添えられたおかずは、
大根や里芋といった根菜類の煮物☆
大根には消化を助ける消化酵素があり、
里芋にはネバネバの素でもあるムチンが含まれていて、
共に消化を助ける働きがあります。
他にも添え物として漬物も食したとされますが、
発酵食品である漬物には乳酸菌が含まれます。
これを摂取することにより、
腸内の善玉菌が増えて消化器の調子が整うだけでなく、
善玉菌の働きで身体の免疫機能も高まり、健康増進に役立ちます。
豊臣秀吉は、
よく笑い、趣味を楽しみ、
腸内環境に優しい質素な食生活をしていたのです。
若いうちには、豪華な食生活をしても、晩年期には、健康なものを食べていた秀吉。
戦国時代を駆け抜け、天下を統一した若き英傑の天下統一後の残りの人生は、健やかに幸せな暮らしぶりだったのでしょう。
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